昨日、ビートたけしさんや爆笑問題が出ているテレビ番組を少しだけ見ました。
たけしさんや爆笑の大田さん、テリー伊藤さんらが「テレビの責任」について話していました。
引き合いに出されていたのが「亀田親子報道」でしたが、色々と違和感を感じました。
まず、皆さん興奮されていて、喋りもままならない状態だった事。
番組的には真面目にやっている感じだったんですが、ただテレビを作る側の方々が感情論で話しているようにしか見えませんでした。
たけしさんや太田さんは社会派タレントとして定着してきていると思います。
他の方もテリーさん、久米さん、小倉さんと、キャスターやコメンテイターとして活躍されている方ばかりでした。
それだけのメンバーが集まっているのに、感情的な話で終始し、太田さんやたけしさんの暴言もあり、何がしたかったのか全く伝わってきませんでした。
結果、テレビの責任というものを考えるというより、マスコミを中心とした社会批判と互いの中傷しか感じませんでした。
二つ目は視聴者についての事。
やらせ問題などに話が及んだ時、私を含めた視聴者が何をテレビに求めているのかを考えました。
そんな中、たけしさんが「作品として観て欲しい」というコメントをおっしゃいました。
あのコメントは納得です。
私は小学生のある時まで、テレビの中の人々が実在するという感覚がありませんでした。
街中でやっていた公開放送だかロケだかを初めて見た時、「あっ、あの人テレビの中の人だ!」と驚いた記憶があります。
そして「テレビの中の人が何で外にいるんだろう?」とモヤモヤした気持ちになりました。
テレビ=娯楽という感覚は今でもあって、たけしさんのおっしゃる通りだと思います。
でも、多くの視聴者は、テレビを真実の箱だと信じているのかもしれないのは事実なのでしょう。
私は報道番組だって娯楽の一つとしか思っていません。
「知識を得る事は人間の最大の快楽」みたいな事を言った人がいたと思うのですが、まさに世界で何が起こっているかを知るというだけの娯楽だと思っています。
だって、事故現場や被災した地区で、被害者にカメラを向けるんですよ?
悪を暴くとか、真実を伝えるとかいう人もいるかもしれませんが、そんな崇高な人間だったらカメラを向ける前に手を差し伸べようとしますって。
別に報道マンを批判している訳ではありません。
あの人たちはそれを仕事と選んだだけで、優しい人も沢山いると思います。
ただ、報道や情報番組で取り扱えるものが真実なんかではないという事を、視聴者にはっきり伝えるべきだと思います。
簡単に真実にたどり着けるなんて事はないと思いますから。
最後に、責任という言葉の事。
私は責任という言葉の意味は、どちらかというとマイナスなイメージとして考えています。
同じような言葉で「義務」がありますが、義務より責任の方がマイナスに感じます。
そもそもテレビに責任を取る能力なんてあるのでしょうか?
これもたけしさんのコメントですが、「昔は力道山が外人レスラーに空手チョップ浴びせて、国民も「殺してしまえ」みたいな感じだった」とおっしゃいました。
現代では「外人差別」や「日本人至上主義」などの問題を含んでくるのかもしれません。
ですが、私はたけしさんがおっしゃりたい事が何となくわかる気がします。
テレビとはバーチャルであって、実生活で表現できない、または表現してはいけないと思っている感情を見せてくれる物という側面もあるはずです。
ドラマで不倫物が流行ったり、スポーツで国同士が戦う姿に熱狂したりするのがそうだと思います。
報道だって、悲惨な現場を見せる事で、仕事や学校の繰り返しの日常に、悲壮感や同情という感情を引き出す為の事実提供に過ぎないと思います。
でも、そんな事は関係なくなって、「テレビは影響力があるんだから責任もある」という風潮になっているのが現代だと思います。
でも、影響力なんて大なり小なり全ての個人が持っているものです。
それを意識して、普段から言動や行動を慎んでいる人がどれだけいるのでしょうか?
例えば子供に対して、テレビの影響力より親の影響力の方が絶大だと思います。
「三つ子の魂百まで」ではありませんが、テレビに影響されてしまう子供は、親よりもテレビの方が信じられると感じているからではないのでしょうか?
親と話すよりメディアと触れる時間の方が多い時代で、テレビに責任を求める前に、テレビが間違った事を教えても、それを訂正してあげられるだけの影響力を考える必要がある気がします。
そしてテレビが健全な人間形成に重きを置いていないのであれば、それを認めて発信するべきと思います。
本来ならそんな事は観ている側が判断するべき事と言われるかもしれませんが、既にテレビの影響力に捕らわれている人が多数いる現状では、はっきりとテレビ側の考えを伝える必要があると思います。
インターネットには悪意も虚偽も沢山存在するという認識が一般的だと思いますが、テレビにも存在していて、それを真実という顔で放送しないという約束の下で運営していけば、「この状況はヤラセです」というテロップが出ても、エンターテイメントとして楽しめるのではないでしょうか?
私が思うテレビの責任は、真実と虚偽の境界線を示さなかった事の一点です。
「事実を伝えたい」「人間としての利益を与えたい」というスタンスで作る番組なら、嘘や暴言、誹謗中傷、個人的感情を一切排除するべきです。
それ以外の「精神が豊かになる物を提供したい」「こういう考え方がある事を知って欲しい」などというスタンスなら、はっきりと明示して、後は視聴者に判断を委ねれば良いと思います。
余談ですが、私が報道番組が娯楽だと思ったきっかけは、以前にある知人から「ニュースなんて観ない方が良い」と言われた事です。
社会人として社会情勢を知る事は必要と思っていたので、ちょっと意外でした。
でも亀田親子問題や食品偽装事件などを各社が連日取り扱う現状を見れば、なるほどなぁと思いました。
ニュースだって、社会情勢の中から面白そうなもの、批判できるもの、それのみクローズアップして取り扱うだけのバラエティ番組なんだと思いました。
事実を伝えるフリをして悲しみや怒りのみを放送し、喜びや楽しみはバラエティ番組で提供する、このスタンスが社会を狂わせる一つの要因なのかなぁ。
そりゃあ子供達が悲観するのは無理もありませんよね。
テレビを信じたら、世の中は悲しみと怒りしか存在しないんですもん。
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