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2007年10月

熟考の秋

前回書いた「責任って何?」にコメント頂きました。

さきさん、ありがとうございます。

正直、ブログで書くには重い内容だったかなぁと思ったのですが、感じた事を書くのがブログだと思ったので書いてしまいました。

コメントを拝見して、さきさんの憂慮が伝わってきました。

番組の主旨も解説頂き、大変助かりました。

そして、競争より共存を…という言葉で締めくくられていらっしゃいました。

ホント、そうですよねぇ。

これって、人間として重要な事なんだと思います。

子供の頃、「頑張って一番になりなさい」と教えられる前に、「みんなと仲良くしなさい」と教えられた気がします。

競争の前に共存を説かれたのは、競争より共存の方が大切だからだったのだと思います。

この事は私だけではなく、どこの家庭、どこの幼稚園でもそうではないかと思います。

それなのに、何故日本人(と言うか企業?)は共存ではなく競争を優先するのか。

それはとても複雑な要因だと思います。

資本主義の批判を行うと、「だったら共産主義の方が良いのか?」という事になるかもしれません。

ですが、資本主義が産んだ歪みが、今の日本人に痛みと苦しみを与えているのは事実だと思います。

私は資本主義論者でも社会主義論者でもありません。

学もないので、双方の原理なんてもちろん知りません。

でも、どちらにも正しい面があって、間違っている面もあると思っています。

実際、今の日本があるのは資本主義のお陰だと思っています。

私は日本人で良かったと思っていますし、こういう事を考えられるのも、日本という豊かな国に生まれてこれたお陰だと思っています。

ただ、その為に社会的弱者が生まれている事も何となくわかっています。

資本主義に影響を受けて、精神性に悪影響が出ている事も。

私は資本主義の日本に感謝しながら、懸念もしている矛盾した存在です。

他の人間に負けたくないと思っていますし、みんなで仲良く幸せに生きたいとも思っています。

つまり、はっきり言ってしまうと、私は資本主義にも社会主義にも興味がありません。

過去に頭の良い、偉い人たちが考えて、資本主義も社会主義も生まれてきたんでしょうけど、ぶっちゃけ「だから何?」って感じです。

私が望むのは、資本主義でも社会主義でもなく、バランスが取れた社会です。

言うなら、「資本主義と社会主義を足して2で割ってね」主義です。

ね、学がないでしょう?

学がない私でも、そんな事が難しいのはわかっています。

でも、私はどちらかに傾倒するのは無理です。

思いやりという鎖に縛られてお金も名誉も目指せないような社会は嫌ですし、逆に自我という爆弾に囚われて他人同士傷つけ合う社会も嫌です。

私は以前にサラリーマンをしていましたが、会社の理念に「より良い商品の提供を通じて、社会に貢献する」的なモノがありました。

きっとどこの企業にもあると思いますが、そんなモンはっきり言ってタテマエです。

要は「自社ブランドを浸透させて、もっと売れ」という事です。

私はこのタテマエが頭にきます。

企業として利益を追求するのは当然の事なのに、何故それを隠して「社会に貢献」なんてキレイ事を言うのか。

もちろん利益を追求するあまりに偽装したり粗悪品を売るのは言語道断です。

ですが、既に企業理念の段階で誤魔化している事自体、悪だと思っています。

利益を追求する存在である以上、「自社商品を売りまくって、利益をあげましょう」とはっきりと明示する事が、消費者への真摯な態度だと思うのです。

でも、これが資本主義と社会主義の融合の限界なのかもしれません。

さきさんのおっしゃっていた「新自由主義」というのも、アメリカ的な資本主義から進化したものなのだろうと思ったのですが、そういった生き方が定着してしまった日本は、これからどうなるんでしょうねぇ?

私は「資本主義?大いに結構!」と、児玉さん風に言ってみますが、資本主義だけでは悲しい事件が増えていくという事も何となくわかります。

自由に生きたいという気持ちも多分に、いや目一杯ありますが、その為に何かが壊れていくのも恐い気がします。

アッチを立てればコッチが立たない…みたいな感じでアタフタしている中間管理職のような人間です。

あ~あ、フィンランド人に生まれてくれば良かったのかなぁ。

こんなダメ人間な私でも一応懸念は感じているので、きっと多くの人がこれからの社会について考えているんでしょうねぇ。

人生に分かれ道なんてない、一瞬一瞬が選択の連続だ!

と意味不明な言葉で締めくくろうと思ったのですが、やっぱ止めます。

明日やろうは馬鹿野郎!

と何かの引用で締めくくろうかと思ったのですが、これも止めておきましょう。

今がその時だ!

と直球で締めくくろうかと思ったので、そうします。

もう少し、ちゃんと日本の未来を考えてみようと思う秋なのでした。

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責任って何?

昨日、ビートたけしさんや爆笑問題が出ているテレビ番組を少しだけ見ました。

たけしさんや爆笑の大田さん、テリー伊藤さんらが「テレビの責任」について話していました。

引き合いに出されていたのが「亀田親子報道」でしたが、色々と違和感を感じました。

まず、皆さん興奮されていて、喋りもままならない状態だった事。

番組的には真面目にやっている感じだったんですが、ただテレビを作る側の方々が感情論で話しているようにしか見えませんでした。

たけしさんや太田さんは社会派タレントとして定着してきていると思います。

他の方もテリーさん、久米さん、小倉さんと、キャスターやコメンテイターとして活躍されている方ばかりでした。

それだけのメンバーが集まっているのに、感情的な話で終始し、太田さんやたけしさんの暴言もあり、何がしたかったのか全く伝わってきませんでした。

結果、テレビの責任というものを考えるというより、マスコミを中心とした社会批判と互いの中傷しか感じませんでした。

二つ目は視聴者についての事。

やらせ問題などに話が及んだ時、私を含めた視聴者が何をテレビに求めているのかを考えました。

そんな中、たけしさんが「作品として観て欲しい」というコメントをおっしゃいました。

あのコメントは納得です。

私は小学生のある時まで、テレビの中の人々が実在するという感覚がありませんでした。

街中でやっていた公開放送だかロケだかを初めて見た時、「あっ、あの人テレビの中の人だ!」と驚いた記憶があります。

そして「テレビの中の人が何で外にいるんだろう?」とモヤモヤした気持ちになりました。

テレビ=娯楽という感覚は今でもあって、たけしさんのおっしゃる通りだと思います。

でも、多くの視聴者は、テレビを真実の箱だと信じているのかもしれないのは事実なのでしょう。

私は報道番組だって娯楽の一つとしか思っていません。

「知識を得る事は人間の最大の快楽」みたいな事を言った人がいたと思うのですが、まさに世界で何が起こっているかを知るというだけの娯楽だと思っています。

だって、事故現場や被災した地区で、被害者にカメラを向けるんですよ?

悪を暴くとか、真実を伝えるとかいう人もいるかもしれませんが、そんな崇高な人間だったらカメラを向ける前に手を差し伸べようとしますって。

別に報道マンを批判している訳ではありません。

あの人たちはそれを仕事と選んだだけで、優しい人も沢山いると思います。

ただ、報道や情報番組で取り扱えるものが真実なんかではないという事を、視聴者にはっきり伝えるべきだと思います。

簡単に真実にたどり着けるなんて事はないと思いますから。

最後に、責任という言葉の事。

私は責任という言葉の意味は、どちらかというとマイナスなイメージとして考えています。

同じような言葉で「義務」がありますが、義務より責任の方がマイナスに感じます。

そもそもテレビに責任を取る能力なんてあるのでしょうか?

これもたけしさんのコメントですが、「昔は力道山が外人レスラーに空手チョップ浴びせて、国民も「殺してしまえ」みたいな感じだった」とおっしゃいました。

現代では「外人差別」や「日本人至上主義」などの問題を含んでくるのかもしれません。

ですが、私はたけしさんがおっしゃりたい事が何となくわかる気がします。

テレビとはバーチャルであって、実生活で表現できない、または表現してはいけないと思っている感情を見せてくれる物という側面もあるはずです。

ドラマで不倫物が流行ったり、スポーツで国同士が戦う姿に熱狂したりするのがそうだと思います。

報道だって、悲惨な現場を見せる事で、仕事や学校の繰り返しの日常に、悲壮感や同情という感情を引き出す為の事実提供に過ぎないと思います。

でも、そんな事は関係なくなって、「テレビは影響力があるんだから責任もある」という風潮になっているのが現代だと思います。

でも、影響力なんて大なり小なり全ての個人が持っているものです。

それを意識して、普段から言動や行動を慎んでいる人がどれだけいるのでしょうか?

例えば子供に対して、テレビの影響力より親の影響力の方が絶大だと思います。

「三つ子の魂百まで」ではありませんが、テレビに影響されてしまう子供は、親よりもテレビの方が信じられると感じているからではないのでしょうか?

親と話すよりメディアと触れる時間の方が多い時代で、テレビに責任を求める前に、テレビが間違った事を教えても、それを訂正してあげられるだけの影響力を考える必要がある気がします。

そしてテレビが健全な人間形成に重きを置いていないのであれば、それを認めて発信するべきと思います。

本来ならそんな事は観ている側が判断するべき事と言われるかもしれませんが、既にテレビの影響力に捕らわれている人が多数いる現状では、はっきりとテレビ側の考えを伝える必要があると思います。

インターネットには悪意も虚偽も沢山存在するという認識が一般的だと思いますが、テレビにも存在していて、それを真実という顔で放送しないという約束の下で運営していけば、「この状況はヤラセです」というテロップが出ても、エンターテイメントとして楽しめるのではないでしょうか?

私が思うテレビの責任は、真実と虚偽の境界線を示さなかった事の一点です。

「事実を伝えたい」「人間としての利益を与えたい」というスタンスで作る番組なら、嘘や暴言、誹謗中傷、個人的感情を一切排除するべきです。

それ以外の「精神が豊かになる物を提供したい」「こういう考え方がある事を知って欲しい」などというスタンスなら、はっきりと明示して、後は視聴者に判断を委ねれば良いと思います。

余談ですが、私が報道番組が娯楽だと思ったきっかけは、以前にある知人から「ニュースなんて観ない方が良い」と言われた事です。

社会人として社会情勢を知る事は必要と思っていたので、ちょっと意外でした。

でも亀田親子問題や食品偽装事件などを各社が連日取り扱う現状を見れば、なるほどなぁと思いました。

ニュースだって、社会情勢の中から面白そうなもの、批判できるもの、それのみクローズアップして取り扱うだけのバラエティ番組なんだと思いました。

事実を伝えるフリをして悲しみや怒りのみを放送し、喜びや楽しみはバラエティ番組で提供する、このスタンスが社会を狂わせる一つの要因なのかなぁ。

そりゃあ子供達が悲観するのは無理もありませんよね。

テレビを信じたら、世の中は悲しみと怒りしか存在しないんですもん。

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奇跡に感謝

フジ系ドラマの「ガリレオ」第二話を観ました。

ドラマの中で蜃気楼がキーポイントになっていて、蜃気楼のメカニズムを知りました。

私は蜃気楼を見た事がありません。

埼玉県でツチノコを探した話をした時、「見ている世界が人と違うんじゃない?」と言われた事がありますが、蜃気楼は見た事がありません。

話が逸れますがツチノコも見た事はありません。

名誉の為に言っておきますが、ツチノコを探す為に埼玉に行った訳ではありませんよ。

旅行で行った時に、たまたま山の方へ行ったので、ついでに探しただけです。

なんか久しぶりに野山っぽい所に行ったので、何となくツチノコがいそうな気がして、二時間ぐらい捜索しただけです。

話を戻しますが、蜃気楼って大気の温度差による光の屈折で起こる現象らしいです。

地球は丸いので、水平に見た場合に遠くの景色は丸みの下に隠れてしまいます。

その隠れた部分が映るのが蜃気楼らしいです。

そう考えると、地球ってホントに丸いんだ~と思ってしまいました。

そんな事は当たり前で、宇宙からの写真などでちゃんと認識しているつもりなんですが、実際にこの目で見た訳じゃないので、ちょっと感動してしまいます。

地球がもっと小さかったら、見渡す限り空…っていう星だったかもしれないんですね。

まぁ小さかったら生命が生まれる条件を満たしていないんでしょうけど。

宇宙という空間が生まれ、地球という惑星が形成され、そこに生命が生まれ、進化して人間になり、自分という存在が生まれた。

本当に奇跡的な確率なんでしょうね。

その奇跡の結晶が64億人も住んでいる地球って、ホントに不思議。

今この文を読んでくれているアナタと出会う事はないかもしれないし、どこかですれ違ったかもしれない。

でも、奇跡の存在同士、今こうして私の言葉を見てくれているという事が、とても凄い事のような気がします。

私にはわからない事だらけですけど、もっともっと色んな事を知りたいなぁ。

そしていつか、出会った人全てにありがとうと言える人間になりたいです。

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ロンジャン小説完成

書いていた新しい小説が完成しました。

今回は走り幅跳びを題材にしてみました。

小説中でも「ロンジャン」という言葉が出てくるのですが、走り幅跳びの事を略して「ロンジャン」って言うのかどうかも不明確なまま使用しています(笑)。

走り高跳びが「ハイジャン」という名で呼ばれるのは普通のようなのですが、「ロンジャン」はアリなのでしょうか?

インターネットで検索しても、「ハイジャン」は当たり前のように使われているのに、「ロンジャン」は革ジャンのメーカーしかヒットしませんでした。

いや、走り幅跳びだって敬称を与えるべきです!

だからあえて「ロンジャン」をこれからも使って行きたいとジャガビーに誓います!

ジャガビー、最近はコンビニでよく見かけますよね。

品薄状態は抜けたのでしょうか?

まぁそんな事はさて置き、話の内容をちょっとご紹介します。

実業団に所属する翔太と、スポーツジャーナリストを目指す恵理の物語です。

大学の同級生で恋人同士です。

翔太が所属する会社から引退勧告をされる所から始まります。

私は書き始めると長くなる傾向があるようなので、今回は自ら「短編で!」と規制をかけ、表現したい事を短い文章でできるように心がけて書きました。

その為、二人の日常というより、それぞれの瞬間瞬間にスポットを当てるようなイメージで書いています。

ちょっと涙、ちょっと感動物にしたつもりです。(私の作品はそんなんばっかりですが)

下記直リンクに掲載しておりますので、宜しかったらご一読下さい。

http://ncode.syosetu.com/n8883c/

題名は「夢の放物線」です。(小説サイト「小説家になろう」に掲載してます)

感想を是非お聞かせ下さい。

次回作は、執筆中の小説に手をつける事なく、以前に書いたコメディの続編を書こうと思っています。

執筆中の作品はアンダーグラウンド的な雰囲気なので、私自身のコンディションをダークにしないと書けないので。

突然ヘコむ時期があるのですが、そうじゃない時には書きたくないんですよねぇ。

少し思い入れがあるので、適当に書きたくなくって。

という訳で、明るい作品になればと思って考えています。

ちょっとお馬鹿な豊臣秀吉君を、もっとお馬鹿に表現できればなぁと思っています。

今日は室井管理官が逮捕される日なので、とりあえず執筆は明日以降に。

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あなたがずっと追いかけた夢を一緒に見たい

新しく小説を書き始めました。

先に書き始めていた小説は一休みして、別の題材を書いています。

以前から書こうと思っていた、走り幅跳びを題材にした小説です。

私は空が好きで、飛ぶ事への憧れが昔からあります。

現代では飛行機やグライダー、スカイダイビングなど、空を飛ぶ体験ができる物は沢山あります。

しかし、機械や物に頼らず、大空を飛ぶ事は人間には不可能です。

人間にできるのは「ジャンプ」のみ。

その跳躍で、より高く、より遠くへ跳びたいと努力するアスリートの人たちは、翼を持たない人間という存在であるにも関わらず、とても崇高な人々のような気がします。

走り幅跳びの世界記録は8m95cmらしいです。

人間が9m弱も跳んでしまうなんて凄いですよね。

飛行機に比べたら、9mなんてくだらない距離かも知れません。

でも、そのたかだか9mの為に、毎日必死で練習して、1cmでも遠くへと目指す人たちの姿は、私のようなぐうたら人間にも誇りと希望を教えてくれる気がします。

相撲やボクシングの世界は色々と混迷して、テレビの報道を見ると嫌な気分になる事が多いです。

でも、アスリートの人たちは単純に速くなりたいとか上手くなりたいとか強くなりたいという気持ちで頑張っているという事を、忘れないようにしたいと思いました。

みんな、頑張れ~ \( ⌒▽⌒ )/

そんな訳で、今回の小説にも主題歌をつけちゃいます。

今回は、LINDBERGの「every little thing every precious thing」です。

十年以上前の曲ですが、阪神の藤川投手の入場曲という事で再び注目を浴び、今年になって藤川投手の写真がジャケットになって再販されたそうです。

当時、テレビCMのタイアップ曲として使われていましたが、とても印象的な曲です。

メロディもさる事ながら、歌詞がとても素敵です。

オリンピックの時に使われていた、ゆずの「栄光の架け橋」と同じで、頑張っている人を応援してくれる曲です。

この曲がCMタイアップ止まりだったのは、非常にもったいない気がします。

私は今でもこの曲を聴くと涙腺が緩みます。

ボーカルの渡瀬マキさんの声は、優しさと力強さと愛らしさを兼ね備えた、本当に歌う為に生まれてきた人なのだなぁと感じます。

小説のあらすじはできているので、山場のシーンでこの曲が流れるイメージで書いています。

書き上げたら「小説家になろう」にUPしますので、是非一読下さい。

その際は、曲をご存知の方は、最後の跳躍のシーンで曲を口ずさみながら読んで頂けると、つたない文章も感動的になると思います(笑)。

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物の価値を考える日

欲しいCDを探しに、近くの電気屋さんに行きました。

結局CDはなかったんですが、ふと携帯電話のコーナーで足を止めて機種チェック。

私の携帯は2年以上前に買った物で、別に機能的に不満がある訳ではありませんが、GPS機能が欲しいなぁと思っていました。

私は方向音痴の気があるようなのですが、性格上どんどん前に進んでしまうので、よく道がわからなくなります。

そんな時にGPSがあれば便利かなぁと思って。

最新機種にGPS付きがあったんですが、機種変だと3万オーバー。

スロットで3万使っても、実態がある物に3万使うのは考えちゃいます。

だって、携帯では儲かる可能性がないですもん。

とりあえず見るだけにして、そのまま外に出ました。

それから、ショッピングビルに立ち寄りました。

入った事がない所だったんですが、こういう所には大体CD屋さんが入っているものです。

案の定CD屋さんはあったんですが、欲しいCDはありませんでした。

下りのエスカレーターに向かう途中、文房具を取り扱っているコーナーがありました。

一番目立つ所に特設コーナーがあって、来年のカレンダーと思われる物が多数並んでいました。

カレンダーとか手帳とか、いち早く反応するのは女性の方が多いようで、数名の女性客が物色していました。

その中に紛れるように、一人の男性が。

男性は、壁に掛けられていた堀北真希さんのカレンダーを見ていました。

しかし、見ているというか、何やら一生懸命めくろうとしています。

芸能人のカレンダーといえば、やはりどんな写真が使われているのかが重要なのでしょう。

しかし、何か焦っているようで、上手くめくれなくて何度も爪で引っ掛けようと頑張っています。

ああいうのって、多分1000円とか2000円ぐらいだと思うんですが、あの人としてみれば堀北さんのナイスフォトが使われているかいないかで、高いか安いかが変わるのでしょう。

CDを諦めて、帰りにうどん屋さんで夕飯を採る事にしました。

私は結構うどん好きで、よく行くお店です。

カウンターで食べていると、左側に座っていた男性2人の会話が聞こえてきました。

「えっ!お前、先月15万も使ったの?」

友達同士のようで、一人が先月に15万を消費したらしいです。

何に使ったのかは曖昧で、友達の追及をはぐらかしていました。

それでも友達の猛攻は続き、かなりのダメ出しが続きます。

言われている人は口数も少なくなり、友達のダメ出しの声ばかりが聞こえてきました。

しかし、友達もダメ出しし過ぎてボキャブラリーが足りなくなってきたらしく、その内「おかしいよ」とか「マジで」とか、何の説得力もない単語が続きました。

そして、友達は意を決して、自分の有効なお金の使用術を披露しに掛かります。

「俺なんて先月五万ぐらいしか使ってないよ」

「食費とかは?」

「だから食費とか、電気代とか……五万ぐらい」

「何してたの?」

「先月はライブとか行ってないから…。あっ、お前、先月…(聞き取れませんでした)とか買ったからじゃない?」

どうやら友達は自分の先月の行動を思い返して、食費や電気代以外の出費がなかったと暴露してしまった事を後悔しているようで、急に口調が変わって友達擁護の姿勢を見せました。

結局友達の「お金を有効に使う術」は披露される事なく、二人は去って行きました。

う~ん、微妙。

お金の価値観って人それぞれですからねぇ。

208円の牛乳と228円の牛乳、私は208円の牛乳を買いますが、服とかになると、候補の2着に数千円の違いがあっても、好きな方を買ってしまいます。

深夜の番組で、色んな物のランキングを紹介する番組があって、見ていたら「売れ筋フィギュア(フィギア?)ランキング」をやっていました。

一位はエヴァンゲリオンでしたが、どれも数千円以上するようです。

私が小学生の頃に集めていたキン肉マン消しゴムは、1体100円ぐらいだった気がします。

それでも好きな人にとっては高くないんでしょうねぇ。

数年前にアメリカのオークションで、日本人が作った「モコ」だか「モモ」だかの女の子の人形が数百万で落札されたというニュースを見て、人形職人になろうかと考えた事があります。

もちろん私には無理ですが、何が高価なのかわからないもんです。

ハンズで買ったお皿が、某番組で「これは有名な人が作った国宝です!」みたいな感じで数千万とかにならないかなぁ。

そうなったら、即売り飛ばして、言ってやるんです!

「マックポテトのL、1000個」

しかもドライブスルーで(笑)

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どこまでも歩ける?

最近、意味もなく散歩します。

小説書き出すと、結構動かなくなってしまうせいもあって、その内歩き方すら忘れてしまいそうなほどです。

昨日は川沿いを歩いていました。

海が近い事もあって、川沿いには釣り船っぽい船が停泊していました。

桟橋のような所で釣りをしている男性が一人。

その5mほど先で、横になってプカプカ浮いている20cmほどの魚が一匹。

さ、魚!?

確かに魚がいる証拠ですけど、そんな所で釣りするのはどうかと思うんですけど。

更に河口に向かって歩くと、小さな村を発見。

綺麗に整理された区画に花らしきものが植えられていて、その向こう側に家屋が点在していました。

基本は木造のようですが、ブルーシートも多数使われています。

やっぱりブルーシートはホームレスの人たちの便利ツールなんですね。

先日の増水時にどうしていたのか不思議ですが、流されていないという事は、かなりの最新技術が使われているのかもしれません。

タマホームもビックリです。

更に歩くと、野球のグラウンドがありました。

そこでサッカーボールでリフティングしている男性が一人。

秘密練習でしょうか?

でもちょっと寂しそう。

ウォーキングしているおじいさんが近付くと、男性はリフティングを止めて川を眺めていました。

その気持ち、何となくわかります。

ああいう時って、何か恥ずかしいんですよね。

そのまま歩いていると、団地のような所に出ました。

知らない場所を散歩していると、どこまでも歩いて行けそうな気分になります。

でも、間違いなく錯覚です。

今までもその勘違いのせいで痛い目に何度も遭っています。

そこら辺は私も大人ですから、団地を抜けてUターン。

案の定、途中で空腹感に襲われ、腰痛の予兆を感じて不安になります。

駅を通りかかった時、3つ分の駅を歩いていた事に気付きました。

電車に乗ろうかな。いや、それでは探索にならない!

そのまま歩き続けて、結局二時間近く歩いていました。

ホント、無駄な事を繰り返しています。

サラリーマン時代は、こんな無駄な時間はなかったように思います。

でも、子供の時は、こんな無駄な時間ばっかりだったような気もします。

そして、それが楽しかったり、悲しかったり、色んな事を知った時間でもあった気がします。

何が無駄で何が有益なのか、社会って難しい。

某国と違って、とりあえず歩いていても武装派にラチられる事はないと思うので、しばらくは探検の日々が続きそうです。

世の大学生諸君!

ユーラシア横断には気を付けろ!!!

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植木等さんと踊りたい

缶コーヒーのワンダのCMで、桑田さんのライブサポーターが当たる…というヤツを見ました。

サザンは以前から大好きなのですが、ここ最近はライブに行けていません。

もちろん桑田さんのソロも良いと思うのですが、やっぱりSASのライブに行きたい!

桑田さんのソロとSASの曲は大きく違うように感じます。

ソロの時は桑田さんの純粋な部分が前面に出ている気がします。

逆に、SASの場合は桑田さんの隠れた本心が出ている気がします。

だからSASの楽曲はダークな部分もあるし、エロもあるし、社会風刺もあります。

私はどちらかというとSASの方が好きです。

もちろんソロでも「悲しい気持ち」「悲しみのプリズナー」「飛べないモスキート」など、大好きな曲はありますが、やっぱりSASが好きなんですよねぇ。

以前に行った横浜スタジアムのライブは、ず~っと立ちっぱなしでノリノリでした。

「マチルダBABY」のイントロが流れた時、興奮しすぎて鳥肌&歓喜の涙が出ました。

SASの曲でブラスが入っているヤツは、イントロがカッコイイ!

「愛の言霊」や「BOHBO No5」もシビレます。

ストリングスアレンジャーの島健さんは最高です。

アルバム「KILLER STREET」の曲も生で聴いてみたいんですよねぇ。

私がいつも不思議に思うのは、シングルカットされていない曲、カップリングの曲の方が良かったりする事です。

「KIKKER~」でも、「セイシェル」「ごめんよ僕が馬鹿だった」はシングルカットされても良いぐらいだと思います。

本当は上記に「限りなき永遠の愛」も入れたいのですが、あまりにかの名曲に影響され過ぎているので、抵抗があるかもしれないので入れませんでした。

桑田さんとジョンは切っても切れない関係ですから。

以前からファンの間では「SASはカップリングの方が名曲」神話がありますが、カップリングならまだしも、アルバムのみの収録曲に名曲を隠すなんて…と思わずニヤけてしまいます。

アルバム「さくら」はちょっと残念な一枚になった気がしますが、それ以外のアルバムで、シングル一曲目以外の当たり曲が入っていないCDはないと思います。

今ではカラオケにアルバム全曲収録されるのは珍しい事ではありませんが、機械が発展途上の時、SASの曲が異常に多かったのは、きっとシングル以外の名曲を要望する声が高かったからではないかと思っています。

少なくとも私が高校生の頃まで、同年代は「サザン=夏」みたいなTUBE的扱いだったので、世間一般の人は聴いた事がない曲でもカラオケに入っている事がありました。

それも「TSUNAMI」の大ヒットで、「出せば売れる」的なトップアーティストになりました。

アルバム発売のスパンが長いSASは、その内アルバム全曲が何かのタイアップ曲になるのではないかと感じてしまう程です。

自分が好きなアーティストの声が色んな所から聴こえるのは嬉しいのですが、もっとSASを聴いていたいと願うワガママな自分がいたりします。

コロコロコミックが週間ではなく月間だった事に悲しむ小学生と同じです。

ビーフジャーキーを前にして「待て!」と言われたゴン太と同じです。

ぎぶみーさざん!!!

そんな訳で、ワンダに応募しようか悩む日々です。

当たる訳ないと思いつつ、応募してしまう事がSASの活動停滞を受け入れた事になってしまう気がして、出しかけた足を引っ込めて、まさにマイケルのムーンウォーク状態です。

小説は進まないのに、ワンダのHPをクリックしまくる暇はある日々。

あゝ無常。

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どんよりとした空と私の心

この所、ネット散歩をしていませんでした。

というのも、今書いている小説がダークな世界なので、極力自分の殻に閉じこもろうかと思ったからです。

この小説はネットで公開する予定ではないのですが、世界を憎んでいる男の話なので、毎日社会の嫌な部分とかを考えながら書いていると、正直悲しくなります。

別に相撲協会の批判とか、某国トップ同士の上辺だけの握手を書いている訳ではありませんが、好景気になると世界の悪い部分に目が行き辛くなるらしいので、あえて暗いお話を書いています。

だってニートな私には景気なんて関係ないもん。

この小説のキーワードは「音楽」です。

ヒロインがミュージシャンを目指し、路上ライブを行っている…というだけではなく、世界観に尾崎豊さんの曲をイメージしています。

「ダンスホール」という曲と「街路樹」という曲です。

私は特別ファンという訳ではありませんが、「街路樹」が大好きです。

この曲には尾崎さんの「愛」に対する姿勢のようなものを感じます。

「別々の答えが同じに見えただけ」と感じてしまう時もある。

それでも「最後まで愛ささやいている 壁の上 二人影並べて」いる街路樹の姿に憧れる。

不器用でも愛したい、という思いのように感じます。

まだ完成していませんが、小説の中に歌詞を出したいんですけど、著作権の問題があるので、あまり勝手に流用してはいけないかなぁと思っています。

でも尾崎さんの曲ではありません。

ブルーハーツの曲です。

「終わらない歌」という曲の、「終わらない歌を歌おう クソッタレの世界のため」という部分です。

この曲は、ブルーハーツのイメージを真島さん(ブルーハーツのギタリスト)が曲にした感じです。

私の書いている主人公が、このイメージと同じ感じの人間です。

ボーカルの甲本さんは、行動がファンクで、曲のイメージからも変人に思われている場合も多いと思います。

でも、本当は繊細で、弱くて、色んな事が悲しくて、それでもそんな自分を受け入れて何かをしたい、という情熱を持った方だと思います。

何かカッコイイ。

最近売れる曲は、定番化した人の歌か恋愛に関する歌ばかりですが、甲本さんや真島さんが作った曲を聴くと、明日を迎える勇気みたいなものをもらえます。

別に私が明日を迎えたくないという訳ではありませんよ。

ただ、弱気になった時に背中を支えてくれる曲は、きっと誰にでもあると思います。

「終わらない歌」は、私のそんな曲の一つです。

「終わらない歌を歌おう 明日には笑えるように」

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